友人とエンタメの話題になると「考察」に疲れたという話になる時代に突入・・・・・・

同年代の友人とエンタメの話をするとみんな「考察」に疲れたという話になるんだけど、その人たちはみんな優しいのではっきり言わないものの、考察がほぼ競技化してるのにあまり程度が高くないという状況が好ましくないとかそういうことなんだろう。
— ながと (@nagato0209) January 4, 2025
フェイクドキュメンタリーQの最新話MOTHERで考察勢が思いっきりおちょくられていたのがよかった。
— ながと (@nagato0209) January 4, 2025
岩波文庫全部読めについてはご本人は学生に発破をかけただけだったところ「本気にしたらどうするんだ」という仕方で俺が絡んでしまったのは申し訳なかったなといまとなっては思ってる。
— ながと (@nagato0209) January 4, 2025
「頭からっぽにして楽しむべきですよね」という反応がきて、いやそうじゃないんだよ、というね。楽しむ技法や態度がその「考察」とやらだけでいいんですかという話なんです。 https://t.co/VwLrD4ilom
— ながと (@nagato0209) January 4, 2025
ミステリを読んでるときに特有の思考の流れみたいのがあるといえばあるが、じゃあ犯人をあてることにこだわる(たとえば「読者への挑戦状」を読んで自分の思考を振り返る)かと言われればそうではないし、まあこういうひとがミステリファンにもわりにいることを知って欲しい。
— ながと (@nagato0209) January 4, 2025
めっちゃわかる!
— あさみ (@a_chang_0322) January 5, 2025
そして「考察」と呼ばれているもの、実際は考察ではなく「こう展開してほしい」と誘導する願望や受け手(読者、視聴者)の妄想が大半だと思う。 https://t.co/rF4vASMhnt
コメント