【悲報】棋士「ヒカルの碁は、大嫌いな作品でした!」

ヒカルの碁は、大嫌いな作品でした!
— 大澤健朗 (@IGO_GEEK) November 26, 2025
(今は大好き。)
自分が、院生になる事が決まったのは、1998年12月。
ヒカ碁が始まったのが、1999年1月?
当時棋力は三段で、史上最弱の院生と言われてました。
数年後、ヒカ碁を読んだ天才達が現れ、中部の院生は8人→50人程になりました。#ヒカルの碁
当時の棋士採用枠は、関西中部、2年間で1.5人。
— 大澤健朗 (@IGO_GEEK) November 26, 2025
(1999年は関西中部合わせて1人。2000年は、関西中部で各1人ずつ)
順番を待っていたら、還暦を迎えます。
当時、プロ試験の年齢制限は30歳。
その後、数年で22歳に変わりました。
この頃にXがあったら、何か変わってたかな!#ヒカルの碁 https://t.co/9iFUs7b5iX
爆発的に増える院生と、厳しくなる年齢制限。
— 大澤健朗 (@IGO_GEEK) November 26, 2025
でも、あの時の厳しさがあったからこそ、
棋士生活でどんなことがあっても、僕は元気です!
当時、ヒカ碁を読んでないのに出現したのが、志田達哉。
自分が唯一、追い抜かれたのは、彼だけです。 https://t.co/KWbubMv9Ds
本当にただただ運がよく…
— 大澤健朗 (@IGO_GEEK) November 27, 2025
自分よりも遥かに強かった先輩達が、やめていくのも見ました。
当時は、ヒカ碁の内容と現実が連動してました…
今の、囲碁を広める側の立場からだと…
— 大澤健朗 (@IGO_GEEK) November 27, 2025
夢のような状況でしたね!
スラムダンクと同じ現象😂
— TMC (@XPS_TMC) November 27, 2025
強豪でもないのに100人とか入部希望あったとこも。厳しめのランニングとかで厳選していき引退時は十数人に減るのだが。 https://t.co/7tcBTHHwya

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